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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)10908号 判決

原告 川島アサ 外三名

被告 国 外一名

訴訟代理人 岸野祥一

主文

被告国は原告川島アサに対し金二七七、〇〇〇円、原告川島浩および同川島光代に対し各金三〇〇、〇〇〇円、原告川島ひてに対し金一〇〇、〇〇〇円を支払え。

被告浅沼泰夫は原告川島アサに対し金六〇〇、〇〇〇円、原告川島浩および同川島光代に対し各金二〇〇、〇〇〇円およびこれらに対する昭和三九年五月一三日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告川島アサの被告国に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は第一項および第二項にかぎり仮に執行することができる。

事実

(前略)

被告国指定代理人および被告浅沼訴訟代理人は、抗弁としてつぎのとおり述べた。

「一、本件事故後その損害賠償について、原告らの代理人訴外山口徳松と被告浅沼の代理人訴外浅沼武志および同市原勝男の間に、昭和三九年九月一九日つぎのような示談が成立した。すなわち、(1) 被告浅沼は原告らに対し本件事故による治療費金一九三、〇〇〇円のほか示談金として金六四〇一、〇〇〇円を支払うこと。(2) 右のうち治療費および金一〇〇、〇〇〇円は昭和三九年九月二一日に支払うこと。(3) 残金については昭和三九年一〇月から一〇ケ年にわたり毎月末日かぎり金四、五〇〇円宛分割して支払うこと。(4) 原告らの被告浅沼に対するその余の請求は放棄すること。

二、しかも、右示談にもとずいて被告浅沼は昭和三九年九月二一日治療費金二〇、〇〇〇円のほか金一〇〇、〇〇〇円を原告らに支払い、昭和三九年一〇月末日に分割金四、五〇〇円を提供したが、原告らがこの受領を拒否したので、同月分から昭和四〇年九月分まで計金五四、〇〇〇円を供託した。

三、(1) 、したがつて被告浅沼は本件事故につき右示談契約の内容以外に支払義務がない。(2) 、自動車損害賠償法第七二条第一項により政府のなす保障は、もともと被害者のこうむつた損害を補償することを目的とするものであり、かつ、政府は補償により加害者に対する被害者の権利を取得するものであることにかんがみるとき、被害者が実際に損害の補てんをうけたのでなくても、示談等により加害者の自己に対する損害賠償債権の全部または一部を免除し、その限度において加害者に対する損害賠償請求権を喪失したような場合は、政府はその限度で右てん補義務免れるものといわねばならない。また、被害者が加害者に対し弁済期を猶予した場合には、政府に即時にその損害をてん補すべき義務が生じないというべきである。したがつて被告国は右示談額金六五九、三〇〇円を超える損害および被告浅沼から原告らに賠償ずみの額についててん補の義務がないことはもとより右示談金額中の残額についても即時にそのてん補義務を負わないものである。」

被告国指定代理人は仮定抗弁としてつぎのとおり述べた。

「仮りに被告国の右抗弁が認められないとしても、被告浅沼の代理人訴外浅沼武志は原告らに対し、昭和三九年五月一四日香料として金一、〇〇〇円、同月一三日見舞金として金五〇〇円、同年九月二一日前記示談にもとずき一時金として金一〇〇、〇〇〇円および治療費金二〇、〇〇〇円を支払い、昭和四〇年一〇月頃同じく分割金として金五四、〇〇〇円を供託しており、さらに原告らは同年五月一三日銚子市保険年金課より国民健康保険法第五八条第一項の規定にもとずいて葬祭費金三、〇〇〇円の支給をうけている。

したがつて以上の各金額は被告国が原告らにてん補する金額より控除されるべきである。」

被告浅沼訴訟代理人は仮定抗弁としてつぎのとおり述べた。

「仮りに被告浅沼に損害賠償義務があるとしても、亡勝治は道路右側をふらふらしながら自転車を運転進行してきたため、被告浅沼の運転する被告車と正面衝突するに至つたものであるから、本件事故の発生には右勝治の過失も一因をなしており、損害額については過失相殺されるべきである。」

原告ら訴訟代理人は、抗弁に対する答弁としてつぎのとおり述べた。

「一、被告ら主張の示談の成立は否認する。

原告アサは本件事故後訴外山口徳松に対し、政府に対する保障請求の手続を依頼するとともに、同人を介して被告浅沼に対する損害賠償請求の交渉を進めたが、右山口らが示談ができなければ政府の保障金ももらえなくなるというので、もつぱら保障金の支払をうける趣旨で、昭和三九年九月中旬頃、(1) 原告らの取得する金員の総蹟を金一、六四〇、〇〇〇円とし、(2) 内金一、〇〇〇、〇〇〇円については被告浅沼において政府保障金が速に支払われるよう協力する、(3) 残金六四〇、〇〇〇円は、頭金一〇〇、〇〇〇円とし残りは毎月四、五〇〇円ずつの十年賦とする。ということで示談するつもりとなり、被告浅沼との間で近日中に公正証書を作成して示談を成立させる運びとなつた。しかして、原告アサは昭和三九年九月二一日訴外浅沼武志から入院費用として金二〇、〇〇〇円と、被告浅沼との間に公正証書が作成され示談が成立したときは右(3) の頭金に充当する趣旨で金一〇〇、〇〇〇円を受領した。

ところが、その頃訴外山口徳松は政府保障の請求手続に手をつけていないばかりか、人によると示談ができていてはかえつて保障請求の妨げになるとのことであつたので、右示談交渉は公正証書を作成して示談を成立させるまで至らず打切られたものである。

二、被告国主張の仮定抗弁事実のうち、訴外浅沼武志が被告浅沼の代理人であること、および金一〇〇、〇〇〇円支払の趣旨は否認するがその余の事実は認める。しかし右のうち銚子市保険年金課からの給付以外のものは、原告アサが訴外浅沼武志から好意的に贈与をうけたものであるから、自動車損害賠償保障法第七三条第二項によつて差引くべきではない。かりにしからずとするも、香料と見舞金は加害者の父である訴外浅沼武志が儀礼として被害者の霊前に捧げたもので、損害賠償の一部支払ではないから同じく差引くべきではない。

三、被告浅沼の仮定抗弁事実は否認する。」

原告ら訴訟代理人は仮定再抗弁としてつぎのとおり述べた。

「一、仮りに被告ら主張の示談が成立したとしても、つぎのいずれかの理由により示談は無効である。

(一) 原告らのつもりでは、前記のとおり政府保障金を含む損害賠償金の総額が金一、六四〇、〇〇〇円であつたのであるから、原告らの内心の意思と表示とは齟齬し、かつそれは法律行為の要素に関するものであるから、要素の錯誤により示談は無効である。

(二) 原告アサは訴外山口徳松らから示談ができなければ政府保障金一、〇〇〇、〇〇〇円ももらえなくなるといわれ、その旨誤信し政府保障金一、〇〇〇、〇〇〇円のほかに被告浅沼から金六四〇、〇〇〇円の賠償金が得られるつもりで示談したのであるところ、政府保障金と示談による賠償金とは別個のものでなく、結局原告アサは示談の目的物を誤認した錯誤をおかしたものであり、かつこれは法律行為の要素に関するものであるから示談は無効である。

(三) 本件示談は、被告浅沼および訴外浅沼武志が、被告浅沼に対する業務上過失致死被告事件における有利な情状を作るため、示談しなければ政府保障金も支払われない旨申向けて原告アサを欺き、その旨誤信した同原告をして為さした意思表示であるから、昭和四一年四月一六日陳述の準備書面によりこれを取消す。

二、前項の主張が認められないとしても、被告ら主張の示談は原告アサと被告浅沼との間に成立したもので、その余の原告らについては示談の効力は及ばない。」

被告国指定代理人および被告浅沼訴訟代理人は、原告ら主張の仮定再抗弁事実を否認する、と述べた。

〈以下省略〉

理由

一、請求原因第二項の事実(ただし、亡勝治の進行方向および接触の態様を除く)は、当事者間に争いがない。

二、請求原因第一項の事実は、被告国との間では当事者間に争いがなく、原告アサ、同浩、同ひての各本人尋問の結果により、これを認めることができる。

三、〈証拠省略〉によれば、被告車は被告浅沼の所有であり(この点は同被告との間では当事者間に争いがない)、被告浅沼はこれを運転して勤務先に行く途中本件事故が発生したものであるから、被告浅沼は被告車を自己のため運行の用に供していた者であり、本件事故による損害を賠償する義務がある。

四、請求原因第四項は当事者間に争いがない。よつて被告国は原告らの請求により、責任保険金額と同額である金一、〇〇〇、〇〇〇円の限度において本件事故による損害をてん補する義務がある。

五、そこでつぎに被告ら主張の示談の成否について判断する。〈証拠省略〉の結果を綜合すると、つぎの事実を認めることができる。

すなわち、本件事故後原告らは被告浅沼に対するその損害賠償の請求と政府保障金請求の手続を銚子市水産組合長である訴外山口徳松に依頼したが、同人は加害車が責任保険に加入していない場合には保障金が支払われるか否か確信がなかつたので、右水産組合の職員にその調査を命じたものの、その結果の報告はうけないまま、原告らの代理人として専ら被告浅沼との示談交渉に努めた。一方被告浅沼は、その父である訴外浅沼武志および訴外市原勝男を代理人として示談の交渉が進められ、昭和三九年五月二〇日頃から同年九月二〇頃までの間専ら被告浅沼が損害賠償として直接原告らに支払う金額と方法について、前後六回位の交渉が重ねられた。その最終回には右双方の代理人のほか、原告アサおよび被害者の義兄である訴外小久保荘三郎も立会い、その席上、入院治療費金二〇、〇〇〇円のほか一時金として金一〇〇、〇〇〇円および毎月金四、五〇〇円ずつの割賦金を一〇年間支払うという案が提出されたが、原告アサは一〇年の期間が長すぎ支払の確実性にも不安があると難色を示したところ、訴外山口徳松が判決と同じ効力をもつ公正証書にすればよいというので双方右の案で、被告浅沼が東京から帰郷する一週間位後に公正証書を作成して示談を成立させることに合意した。

他方被告浅沼に対する本件事故による業務上過失致死被告事件の証人として、訴外浅沼武志は、被告浅沼が被害者に対する示談金を支払えないときは同訴外人が代つて支払う旨証言し、同趣旨のことを原告アサに対して述べ、示談の公正証書を作成するときは被告浅沼の保証人として連署するつもりでいた。

その後昭和三九年九月二一日訴外浅沼武志が治療費金二〇、〇〇〇円のほか金一〇〇、〇〇〇円を持参しへ原告川島アサがこれを受領した。ところが、その後原告アサが自ら干葉市の共同査定事務所に政府保障金請求の手続を調べに行つたところ、加害者との示談が成立していては保障金は支払われないと聞き、原告らとしては別に政府保障金一、〇〇〇、〇〇〇円を請求することができること前提として被告浅沼との示談を進行してきたものであつたので、昭和三九年一〇月中旬頃前記合意にもとずく公正証書を作成するべく被告浅沼の印鑑証明を持参した訴外浅沼武志に対し、示談の公正証書を作成することを拒絶した。以上の事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

右事実によれば、割賦金の支払が著しく長期にわたるところから公正証書を作成することが示談成立の重要な内容となつていたものと認められ、それが作成されていない以上被告ら主張の示談はいまだ成立していないものといわざるをえず、これに反する証人山口徳松、同市原勝男、同浅沼武志の各証言部分は前掲各証拠に照しにわかに措信しがたい。なお、前記認定のごとく、原告アサが訴外浅沼武志から治療費のほか金一〇〇、〇〇〇円を受領しているが、これは示談が成立した場合に一時金として充当する趣旨で受領されたものと認められるので、前記認定の妨げとはならない。

よつて示談の成立を前提とする被告らの抗弁はその余の争点を判断するまでもなく理由がない。

六、つぎに過失相殺の主張について判断する。

〈証拠省略〉によれば、被告浅沼は被告車を運転して銚子市新生三丁目四〇三番地付近道路を同市西芝町方面から同市馬場町方面に向つて時速五〇キロメートル以上の速度で進行し、約三五メートル前方道路上の左側を同一方向に向つて自転車に乗つて進行中の訴外川島勝治を認めたが、同人の動静を充分注意せず同速度で同人を追い越そうとし同人の自転車に衝突させたものと認められ、右認定に反する甲第五、第七、第八、第一六、第一七、第一八号証の記載(特に自転車の進行方向)は、前掲各証拠に照らしにわかに措信しがたく他に右認定を覆すにたりる証拠はない。右事実によれば、本件事故は被告浅沼の一方的過失により発生したものと認められ、他に被害者である亡勝治の過失を認めるにたる証拠はない。

よつて被告浅沼の過失相殺の主張は理由がない。

七、そこで原告らの損害について判断する。

(一)  (亡勝治の得べかりし利益)

〈証拠省略〉によれば、亡勝治は本件事故当時四七才であり、訴外与茂七水産株式会社に舟大工として勤務し、月額金四〇、二〇〇円の給与を得ていたこと、同会社には定年制はなく、同人は本件事故がなければなお二三年間は同会社に勤務し、すくなくとも前同様の収入を得るはずであつたことが認められる。したがつて亡勝治の年間収入は金四八二、四〇〇円となるところ、同人はその生涯にわたり、右収入を得るためその三分の一を生活費として費消したとみるのが原告川島アサ本人尋問の結果と一般経験則に照して妥当であるから、同人が一年間に得べかりし純益額は金三二一、六〇〇円であり、二三年間に金七、三九六、八〇〇円の純益額を得られたはづである。これをホフマン式計算方法にしたがい民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると、金三、四四〇、三七二円(円未満切捨)となる。

原告アサは亡勝治の妻として、原告浩同光代は亡勝治の子として各自右の三分の一すなわち金一、一四六、七九〇円(円未満切捨)宛の請求権を相続により取得したというべきである。

(二)  (原告らの慰藉料)

原告アサ、同浩、同ひて各本人尋問の結果によれば、亡勝治は健康であり舟大工として与茂七水産株式会社に勤務し、養母の原告ひて、妻の原告アサ、子の原告浩同光代と同居しその生計を支えていたことへ原告ひては昭和二一年頃亡勝治を養子とし、以来同居してきたことが認められ、同人の事故死が原告らに与えた精神的打撃が多大であつたものと推認することができる。その他本件における諾般の事情を考え合わせると、その慰籍料額は原告アサおよび同ひてにつき各金五〇〇、〇〇〇円、原告浩および同光代につき各金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

八、つぎに被告国の控除の仮定抗弁につき判断する。

(一)  原告らが銚子市より国民健康保険法第五八条第一項の規定にもとずいて葬祭費金三、〇〇〇円の支給をうけたこと原告らが被告浅沼から亡勝治の入院治療費として金二〇、〇〇〇円の支払をうけたことは当事者間に争いがなく、証人山口徳松、同浅沼武志、原告アサ本人尋問の結果によれば、右入院治療費は示談の成否にかかわらず当然支払われることが前提となつていたもの認められる。よつて前者については自動車損害賠償保障法第七三条第一項により後者については同条第二項により、いずれもその金額相当の限度で政府保障金から控除されるべきであるので、原告アサの政府保障金額から控除することとする。

(二)  原告アサが訴外浅沼武志から香料金一、〇〇〇円、見舞金五〇〇円を受領したことは当事者間に争いがないところ、証人浅沼武志の証言によれば、これらは同人が被告者の霊前に捧げる趣旨であることが認められるので、損害賠償として支払われたものとはいえず、政府保障金から控除すべきではない。

(三)  訴外浅沼武志が原告アサに対し昭和三九年九月二一日金一〇〇、〇〇〇円を支払い、昭和四〇年一〇月憤金五四、〇〇〇円を原告らに供託したことは当事者間に争いがない。しかし、右金一〇〇、〇〇〇円は前記認定のごとく本件示談が成立することを予定して授受されたものであり、それが成立していない以上、その成立を前提として供託された右金五四、〇〇〇円とともに政府保障金から控除すべきではない。

九、よつて被告国は原告らの請求により、原告アサに対し金二七七、〇〇〇円(前記八項(一)記載の金員合計二三、〇〇〇円を控除)原告浩、同光代に対し各金三〇〇、〇〇〇円、原告ひてに対し金一〇〇、〇〇〇円の支払義務があり、被告浅沼は、前記原告らの有する損害賠償債権のうち原告らが本訴で求める原告アサにつき金六〇〇、〇〇〇円、原告浩、同光代につき各二〇〇、〇〇〇円およびこれらに対する本件事故の後である昭和三九年五月一三日から支払ずみにいたるまで民法所定め年五分の割合による損害金の支払義務がある。

結局原告アサの請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、その余の原告らの請求は理由があるから全部認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用し、仮執行免脱の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 羽生雅則)

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